quote-over1000notes-jp:

“交通事故による死亡記事は今ではよほどのことでない限りニュースにならない。しかし、地方支局では少し前まで 、死亡者が出た交通事故は、なるべく現場を踏み、記事を書くことになっていた。だから凄惨な事故現場を数多く見た。このときの経験でいうのだが、 交通事故キャンペーンでは、むしろむごたらしい現場写真を見せた方がいいのではないか、と思っている。また、人をはねた女性ドライバーが 怖がってしまい、倒れている被害者を触ろうともせず、泣き叫んでいるところも見た。”加害者教育”も必要ではないかと思う。 助手席のフロントボードに前歯が全部刺さっているのを見たことがある。被害者は死ななかったが、一瞬のうちに 全部の抜歯手術を受けたようなものだ。 鉄骨を積んだトラックに追突した男性は、のどからささったのが後部座席を突き破り、自分はハンドル持ったまま宙吊りになって死んでいた。 夏、トラックの運転手が右手を窓の外に出したまま片手運転していて、対向のトラックと接触して腕の付け根から持っていかれた。 このときは1か月に2度も同じ事故があったのだが、もう一件は自分で拾って病院までまた片手運転した。不思議に出血が少なくて 2件とも助かった。 後年社会部のとき見たのだが、20歳未満の男女数人が乗ったスポーツカーが大阪の御堂筋でトラックと激突した。トラックの後輪は2輪ずつ 連結になっているが、その10数センチの間に男女4人が入っていると聞いたときはにわかには信じられなかった。車軸から衣類をはがしてみて 人数がわかった。脳漿が搾り出されて、せんべいのような頭蓋骨が散らばっていた。明け方の事故だったが、中の一人の 少女は直前声をかけられて乗ってきたもので10日以上たっても身許が分からなかった。 何十年立った今でも、トンネルの中で対向車とすれ違ったり、鉄骨を積んだトラックが前にいると、こうしたシーンが突如よみがえりスピードを 落とす。車庫にクルマを入れようとして幼い我が娘をひき殺した父親は、泣きながら自分の頭を自分の手で殴り続けていた。私はバックにギアを 入れるたびにこのシーンを思い起こし、サイドミラーをもう一度覗く。 交通標語を唱えるだけではダメだ。残酷だから、見るに耐えないから、と現場写真は調書の中だけで使われる。だが、恐怖のありのままを 見せた方がよほど実学になると思うがどうだろうか。”

ブン屋のたわ言 (via petapeta)

(quote-over1000notes-jpから)

alto-n:

“前にNHKでやってた「東京カワイイTV」で様々なギャル文化に触れてきた沢村一樹さんが最終回で言ってた『理解できなくていいんです。否定しなければ。』は本当に名言だと思う。”

Twitter / you_mikimoto (via gkojax)

(元記事: drhaniwa (alto-nから))

alto-n:

“一番ダメなのが40歳以上の男性で、本当に全然対話ができない。要するに、自分の発言に対して相手が何かを言ってきて、自分の考えが変わるっていうことを想定してしゃべらないから、本当にダメ。 これは、対話の一番大事な概念で、対話っていうのは基本的に、価値観の異なる人と出会って自分が変わっていくことを潔しとする。あるいは自分が変わることに喜びさえも見出すっていうのが「対話」の基本的な概念なんです。 でも、会社人間だと、上司と部下の関係しかないから、変わるってことがないんですよね。本当にかわいそうで、学生のコミュニケーション能力より、お前達がどうにかしないと大変だぞ、と”

ウィンウィン対談 平田オリザさん 劇作家・演出家 対話力 コミュニケーションデザイン (via vmconverter) (via tyzm) (via dannnao) (via mrmt) (via tsupo) (via uncate) (via gkojax) (via gkojaxlabo) (via petapeta) (via yaruo) (via spankinggogo) (via send) (via tiga) (via passionflower) (via deathgarigari) (via ibi-s) (via tkashiwagi) (via lovecake) (via gkojax) (via gkojay) (via mercure) (via mitegu)

bbk0524:

“俺、老人苦手。「おばあちゃんこ」とか「おじいちゃんこ」とかってスゴイ。老人慣れしてるヤツってスゴイ。電車で席も譲れない。話しかけるの怖い。年に一回くらい田舎に連れて行かれた時の祖父母との対応に常にいっぱいいっぱい。敬語で喋っていいんだか、親に話すみたいに普通にしていいんだかわからなくて、困る。胃が痛くなる。親がいなくなると、話題ゼロ。田舎帰るの嫌い。で、中学に入ってからは、部活や何だとかいって、親の帰省に付き合わなくなる。高校に入る頃には祖父母なんて、一番他人に近い知り合い程度の認識。ところが、去年、じいちゃんが死んだ。葬式はさすがに帰省。正直、神妙な面持ちをするのが精一杯。全然、涙でない。感情移入できない。ばあちゃんにも、結局、何も声かけれず。一言も話さず。それから一年。親父がいきなり「ばあちゃんを東京に呼ぼうと思うんだけど、いいか?」発言。いやいやいやいや、ないないない。とか、とても言えない。親父曰く、ばあちゃんは、このところ体調を崩しがちで、入退院を繰り返していて、一人で暮らしていくのは厳しいと医者から言われたらしい。いや、うん、でも、えーと。俺だけではなく、何となくどんよりとした空気が家族に流れる。誰も反対しなかったけど、なんかみんな歯切れが悪い。母さんも「部屋をどうするの」とか「手すり」がどうとか、ネガティブ発言。妹は「なんでウチなのー?お父さん末っ子なのにー」とか言って雷落ちる。で、先月、ついにばあちゃんが福島から東京の我が家に越してきた。母さん余所行きの笑顔。妹、部屋から出てこない。俺の部屋にじいちゃんの仏壇置かれる。夜怖い。福島の家は売って、荷物もほとんど処分したみたいだけど、ばあちゃん、変な自転車持ってくる。六蔵って書いてある。すげぇ古い。じいちゃんの形見っぽい自転車。錆びすぎ。ちょっと邪魔。そんな感じで、ギクシャクした生活が続く。母さんと気の使い合い。たまに作るばあちゃんの飯の味付けがイマイチ。出てくる料理も見慣れない。家でリラックスできない。ばあちゃんもばあちゃんで、あんまり喋らない。2週間前のこと、うちにばあちゃん宛の手紙が来る。入院してた病院の看護婦さんかららしい。その看護婦さんはじいちゃんが亡くなるときも立ち会った人みたいで、手紙の内容は、まぁなんつーか、その時のことをつらつら。じいちゃんの最期はとても感動的だったらしく、ばあちゃんがじいちゃんの手を握りながら、「もっと一緒に暮らしましょうよ。もっとお話しましょうよ。 もっと私を怒ってくださいよ。もっと色々なところ旅行に行きましょうよ。 死ぬときは一緒ですよ。もっと一緒にいたいですよ。ずっと一緒ですよ。」と何度も何度も語りかけながら亡くなってたらしい。10代で結婚し80年連れ添った二人に凄く感動した、という内容が9割で、あと1割、新しい環境で元気にやっていますか?という手紙だった。その日の夕方、ばあちゃんが我が家を震撼させる発言をした。「自転車の練習をしてみようと思うのだけど、ユウちゃん教えてくれる?」ユウちゃんは、俺。ばあちゃんは90オーバー。さすがに止めた。ばあちゃん、自転車経験もちろんゼロ。先月まで、病院でリハビリとかしてた人。家族、総出で止めた。全然、折れない。唯一の戦前生まれ。朝には母さんが諦めたように「ユウちゃん頼むね、見てあげて」と言った。あと、「絶対絶対絶対、ケガさせないでね!寝たきりなんかになったら、ほんとに困るからね!」と小声で念押し。その日から、近所の公園で俺とばあちゃんの不毛な特訓が始まる。話なんて、そんなしたこともないから、黙々とやる。敬語。目、合わせない感じ。やや呆れ気味で、練習開始。はっきり言って、全然乗れない。足をペダルに乗せる段階から無理。跨いでサドルに乗るとこまでに2日費やす。ペダル漕ぐとか、全然別の次元。二日間、俺はひたすら自転車がこけないように支え続けるのみ。毎日帰り道、10分間のばあちゃんとの会話が苦痛。「今、学校ではどんな勉強をしてるの?」「ユウちゃんは昔から、算数がよくできたからねー」そればっか。じいちゃんの自転車がガコガコガコガコいう音ばかりが目立つ。三日目にして、俺ギブアップ。買い物行くのを理由に、帰りはじいちゃんの自転車に乗って、先に帰ってくる。んで、気付いた。サドル高すぎ。油をさして、錆びだらけの自転車のサドルを一番低くする。翌日、どうにかこうにか、跨ることができる。「ありがとね、ユウちゃん、ありがとね」拝まれる。でも90歳のバランス感覚は風前のともしび。漕ぐとか本当、別次元。なのに、めちゃくちゃのハンドルさばきで漕ごうとする。俺、自転車支えるっていうより、抱えてる感じ。全身筋肉痛。この頃になると、帰り道は第二次世界大戦話。空襲とかを家財道具を抱えて逃げまどった話とか聞くと、自転車くらい乗れる気がしてくる。10日する頃には、どうにか漕いでる。ただ後ろは支えてないと絶対無理レベル。ふらふらなんてもんじゃない。ドリフだ。で、ある日、変な石に乗り上げちゃって、支えてたけど、二人で転んでしまった。ばあちゃんは思いっきり足と肘とこめかみの辺を擦り剥いた。血が出てる。死んだんじゃないかって本気で思った。救急車呼ぼうかと思った。ちっちゃい子どもが転ぶような微笑ましさは全くない。俺、さすがにショック。ばあちゃんも、とても怖かったようでショック。家に帰って、母さんに一方的に怒られて、俺は思わず部屋で泣いた。その日の夕飯、ばあちゃんが話す。じいちゃんが病気になるまでずっと自転車で町内の牛乳配りをしてたこと。それは割と町内でも有名で、手紙をくれた看護婦さんも、そんなじいちゃんをよく見てたこと。六蔵さんの自転車の音がすると元気が出ると評判だったこと。そんなじいちゃんの自転車に乗れるようになって「心配しないでね」って「みんなも元気で」って町のみんなに手紙を書きたかった、と。福島で生まれて、福島で生きてきた。90年暮らした土地を離れて、人生の最後に、俺んちに来たばあちゃん。「んだ、全然だめだったぁーって手紙書くからねー。ユウちゃんありがとねー」と言う。次の日、昨日言った通り、練習は無し。もう無し。洗濯物を畳んでるばあちゃんに、何か言いたいけど、何も言えない。すると夕方、親父がスゴイ勢いで帰ってくる。「ユウ、庭でコレつけろ!ばあちゃん、自転車に補助輪つけっから! もう一回乗ってみろ!」親父、補助輪買ってきた。それを見て呆れた妹は、バレーの練習に使ってるサポーターをばあちゃんに渡した。母さんの夕食のメニューがほとんどタンパク質中心になった。バカ家族。それから、我が家では夕方になると、家族総出で公園。公園で自転車の練習。そしてついに昨日、俺が支えることなく、15メートルくらい漕ぐことができた。それを見て興奮した母さんが、ダッシュで家に戻って、息を切らせて公園に戻ってきた。「ビデオ!お父さん、ビデオ!」つって。で、まるで我が子の自転車デビューを撮影するかのように、90歳のはじめての自転車を撮影。公園の端から端。「ばあちゃん、手離すよ!行け!」ばあちゃんがカメラを持ってる親父のところまで、必死に自転車を漕ぐ。ヨロヨロと。ガタガタと。でもまっすぐと。「行けっ!行けっ!」「いいぞっ!いいぞっ!」ばあちゃんの後ろ姿に、声つまる。親父の声も、裏返ってる。20メートルくらい、新記録を漕いだ。すげえ。すごい。すごい!親父のカメラの前で半分こける感じで自転車を降りて、ばあちゃんはカメラの前にピースして大笑い。俺は、ばあちゃんに何か言おうと駆け寄るけど、声にならなくて、目を反らした先の自転車に書かれたじいちゃんの名前を見て、もう たまらなくなってしまった。骨張って、角張って、マジックでしっかりと「六蔵」って書かれてた。あの日、死んじゃったのは、この人なんだな。なんで、死んじゃったんだよ、じいちゃん。ばあちゃん、自転車乗っちゃったんだぞ、って。その日、撮ったビデオは、家で再生すると、ブルブル震えすぎで、とても見れたもんじゃなかった。親父、感動しすぎ。もうスタートから、涙ぐんじゃって、ばあちゃん ぼやけて見えなかった、らしい。仕方ないから、福島へは写真を送ることになった。それからも ばあちゃんは、ちょっとした出先に六蔵自転車で行く。もっと一緒に暮らしましょうよ。もっと色々なところ旅行に行きましょうよ。もっと一緒にいたいですよ。ずっと一緒ですよ。を体現してるみたいに。”

LOOTONE (via takudeath)

(bbk0524から)

“主治医に教えてもらったのですが、病的な不安にとりつかれた時は、2つの作業を同時にやると、脳の処理が追いつけず不安な考えを除去できるので、その後気持ちの切り替えを行うと良いらしい。例えば皿洗いをしながら歌うとか。不安障害でお悩みの方はお試しあれ。”

“原則として選別せずに何でも収集する。生前に「重要なものだけを取るようにしたらどうか」と聞かれた大宅氏が、「重要か重要でないかを誰がどうして決めるのかね」と答えたというエピソードがある。”

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近所の書道教室がいつも達筆クレイジー。 今回はいよいよ正気じゃなかったので撮影した。


taishou-kun:

“CLUB DARUMA”

Nakanojo biennale 中之条ビエンナーレ - Japan - September 2013

video here

Source : Sean’s Japan Travel Journal - japan-guide.com

(kogumarecordから)

re-nise3kawan:
“ 【独り言】
ローカルテレビ番組。
平野レミという豪快…
”

re-nise3kawan:

【独り言】

ローカルテレビ番組。

平野レミという豪快…

(zenigataから)

yajifun:
“ Ehon Mizu ya Sora / Jichosai (Nichosai)
絵本水や空 耳鳥斎 1780年
“藥師寺次郎左衛門 中村次郎三 丸子” ”

yajifun:

Ehon Mizu ya Sora / Jichosai (Nichosai)

絵本水や空 耳鳥斎 1780年

“藥師寺次郎左衛門 中村次郎三 丸子”

(kogumarecordから)

“日本国民は、ナウル共和国に理由無しでの亡命が可能。”